春とは名ばかり、寒さが続く二月下旬。高校の補習も全て終え、あとは卒業を待つばかりとなった最上キョーコは椹から呼び出されて久しぶりに事務所に来ていた。
事務所社長の賑々しい愛の一大イベント──バレンタインデー──が終了し、事務所内は次のイベントへ向けて束の間の静けさに包まれていた。
先日までの騒がしさが嘘のように静まりかえる社内をキョーコは「これが普通の会社よね」と愛が主食の社長を真っ向から否定するようなことを思いながらエレベーターホールへと向かっていた。
「ごはん食べに行きましょうよぉ~」
耳に飛び込んできたコトバ。
媚びを含む黄色い声に思わず視線を向けると、人より頭抜けて高い身長を誇る先輩俳優が二十歳前後の女性四、五人に囲まれて人当たりの善い表情を浮かべていた。
(また囲まれてる)
キョーコは立ち止まるとその一団を見つめる。
意外な事だが事務所内で女優やモデルが蓮を取り囲む事は少ない。蓮を見つけて取り囲むのはもっぱらセクション違いのタレントや歌手だ。
今も取り囲んでいるのは天然キャラが受けて人気が上昇しているアイドル歌手グループだった。
「りな、ハタチになったんですよぉ。敦賀さんとお酒飲みたーい。連れて行ってくださいよぉ」
小首を傾げシナを作り食事に行こうと蓮を誘った娘が語尾を延ばした甘い声で更にアピールすると、「えー。ずるい~。アタシも行きたい」
一人が抗議の声を上げると「わたしも!」、「あたしだって行きたい!」と他の面々も同調する。
その様を良いも悪いも何も言わず蓮は少しだけ困った表情を浮かべてやり過ごしている。
(行く気が無いならはっきり言えばいいのに。いくら人気商売って言っても同じ事務所の人間にまで愛想を振りまく必要なんて無いじゃない)
知らず眉根を寄せてその様を見ていたキョーコはハッと我に返ってエレベーターへと向かって歩き出した。
(私には関係ないことだわ)
キョーコは眉間に皺を刻んだまま上階行きのボタンを押しエレベーターの到着を待った。
コンクリートの建物は声が反響しやすい。嬌声は今だ止むことなく、より高くキョーコの耳へと入ってきたが彼女はそれを意図して意識から追い出した。
それなのに止まること無く声は響く。
全身に絡みつくようなそれに苛立ちを覚えてキョーコはじっと床の一点を見詰めた。
(そこまで愛想良くすることないじゃない)
訳もなく立ち上る苛立ちをキョーコは持て余して床から視線をはずせないでいるとチンという軽い音共にエレベーターが到着し扉が開いた。
三時過ぎという時間帯もあるのか箱の中には誰もおらず、ほっと息を吐いて彼女はそれに乗り込んだ。
目的地の階表示ボタンを押して視線は一番下のマークに留まり、キョーコの指先は彷徨うように揺れてから底辺が鏡になっている三角のマークをそっと押した。
午後三時を過ぎたばかりのこんな時間に事務所に蓮が居るという事は仕事の打合せか何かだろう。
キョーコが居る事に気付いてないだろう。しかし-ー。
三方が壁になった箱の中に入ったからか耳に届く喧噪は弱まった。
しばらくボタンを押し続けていたがそっと指を離すとそのまま後ろに下がって壁に寄りかかった。
(バカみたいーーー)
キョーコは胸の裡でごちた。
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テーマ:二次創作:小説 - ジャンル:小説・文学